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ザ・ノンフィクション

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2016.12.01 Thu.

朝毎に懈怠なく死して置くべし

これは、武士道の心得を説いた『葉隠聞書』の中の一文。

直球の解釈をすると『毎朝サボることなく死んでみよ』となるが、自死を試みろ、と言っているわけではない。

前後の文脈を踏まえると『武士として生きるために死を想定せよ』と言っているのだ。

武士じゃなくとも、人はいつか必ず死ぬ。

死を意識し、覚悟すること。

それは、死ぬための準備をするということではなく、生きるための指針を確認する行為。

年齢を重ねるに連れ、身近な人が亡くなることも増えてきた。

未成年の頃は想像すらしていなかったけれど、これから先、死との関りが更に増えていく。

もちろん、自分自身の死とも。

だから、毎朝考える。

今日、生きて何をすべきか。

仕事を頑張る、ダーツを投げる、映画を観る。

なんだっていいけれど、いつか必ず最後には死んでしまうんだ。

そう思うと、自分にとって本当に大事なことは何か、が見えてくる。

ある日曜日。

「今日をもちまして私は死ぬ。しからばドキュメンタリー番組の『ザ・ノンフィクション』を観て、今日を生きることとしよう! あ、あと、空いた時間にダーツの中継も観よっと」

割とライトな感じでその日の死を覚悟した上、テレビの画面を一生懸命見つめることにしましたよ。

孤独死の後始末 請け負います

フジテレビ『ザ・ノンフィクション』は、毎回異なる主人公(実在の人物)にスポットを当てたテレビ番組である。

その回の主人公は、孤独死の後処理を専門に行う業者さんであった。

孤独死の場合、多くのケースで発見が遅れ、体液が漏れ滴り、虫が湧き、ご遺体が悲惨な状況になっていることが多い。

そんな時のための専門の清掃業者さんなのである。

少子高齢化、独居老人の増加が進むこのご時世、決してニッチな商売などではなく賢明で堅実なマスマーケティングだ。

番組では主人公を軸に、様々なケースの孤独死を次々と取り上げていくが、あるアパートの一室に一瞬だけダーツボードが!

「おお……」

映り込んでいたダーツボードを分析すると、本格的なものではないように見える。

インテリア感覚の壁掛けのおもちゃのようなボード。

しかし、そのボードにはダーツが6本くらい刺さったままになっている。

もしかすると部屋の住人は、亡くなる直前にダーツを投げて遊んでいたのかもしれない。

「なんだ、意外と独り身を謳歌していたんじゃないの?」と思わせる一瞬であった。

和室の壁にダーツボード、のミスマッチ感がなんか素敵。

『Hagakure』

孤独死は不幸なことである、と思っている方もきっと多いでしょう。

でも、亡くなった方は、今際の際に一人だっただけで、日常生活において他者との関りが全くなかったわけではない。

幸か不幸かは亡くなった本人にしかわからないし、せめて、冒頭のような心掛けや覚悟があれば、突然のように訪れる死に対しては納得できるはず。

死んじまったけど、おおよそオイラ幸せだったなあ、最後にダーツで遊んだし、とか思いながら三途の川を渡りたいものだ。

ところで……。

かのスティーブ・ジョブズ氏も、死について、似たような発言をしていた。

"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today ?"

(もし、今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることは本当に自分がやりたいことなのだろうか)

そう問いかけて、NOが続く毎日だとしたら何かを変える必要がある、と。

一方、同じスピーチの前文、ジョブズ氏が読んで感銘を受けたという文章も、またしっくりくる。

"If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."

(その日その日を、あなたの最後の日だと思って暮らしなさい。いつの日か必ず最後になるから)

これは、冒頭の一文の解釈に符合しているような気もする。

その昔、ジム・ジャームッシュ監督の『ゴースト・ドッグ』という映画があって、フォレスト・ウィテカー扮する殺し屋の主人公の愛読書は『葉隠聞書』の英語版、『Hagakure』であった。

ジョブズ氏は、この英語版の『Hagakure』を読んだことがあるのかもしれない。

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