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忍者戦隊カクレンジャー

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2018.04.26 Thu.

お便りのコーナー

東京都北区赤羽にお住いのAさんからこんな電子お便りが届きました。

「金沢さんコンチハ。さっきカクレンジャー観てたらダーツが出てきました。ぜひエスマグで取り上げてください」

お便りありがとうございます。
採用されたAさんには、私が使い古したダーツのティップ3本をプレゼントします。
ぜひ家宝にしてください。

にしても、ほほう、カクレンジャーですか。
なかなかマニアックなところを突いてきますね。

ていうか、カクレンジャーって今、このご時世に観るべきものなのでしょうか?

知らぬ人のためにご説明さしあげると、カクレンジャーとは、テレビ朝日で放映されている戦隊ヒーロー特撮シリーズの過去の作品『忍者戦隊カクレンジャー』のことである。

放映自体は平成6年から7年にかけて。

ということは、私が思春期を迎える中学三年生~高校1年生の頃くらいに放映されていたもので、少しだけ大人になった私は子供向け特撮番組などとっくの昔に卒業していて、リアルタイムで観ていない可能性があり、特に語るべきことも見当たらないはず。

否。

今でこそ、仮面ライダーシリーズと並び日曜朝の風物詩となった感のある戦隊シリーズだが、昔は金曜日の夕方に放映されていた。

そして私は子供の頃からずっとこのテレビ朝日の戦隊ヒーローシリーズが好きだった。
高校生になるまで、ロクに部活動もせず、毎週金曜日の夕方に帰宅して、律儀に毎回きちんと視聴していたのだ。

『カクレンジャー、にんじゃーにんじゃー』というオープニングテーマ曲も、『シュリシュリシュリケンビシビシマキビシー』というエンディングテーマ曲も、ちゃんと覚えている。

ガハハ、どうだ、暗い青春だろう。

しかし、しょうもないと思うことなかれ。
この経験があったからこそ、後に私にとって非常に重要な出会いがあった。

今思うと、大変に感慨深い作品なのである。

忍者戦隊カクレンジャー

ダーツが出てくるのは第三話『アメリカン忍者』の回。

アメリカからやってきたジライヤ/ニンジャブラック(日本語を喋らないケイン・コスギ)が、敵である妖怪のアジトへと単身で潜入するシリーズ序盤のエピソードだ。

その妖怪のアジトでは何故かパーティらしきものが開かれており、有象無象の妖怪たち集まってウェイウェイしているが、一瞬だけ、そこにダーツボードが映り込む。

どういう演出意図かはわからないが、妖怪もパーティでダーツをして楽しんでいるということか。

すごいぞダーツ。
ワールドワイドなゲームだ。

しかし、改めて観てみると、わずか20分ほどの尺の中で、ガシガシボキボキと一切の無駄なくお話を展開させていく構成力がすごい。

シナリオの力というものを感じさせられると同時に、これを書いた脚本家はもうこの世にはいないのだ、と落涙しそうになった。

木でできたボードのように見えるが……画像が粗くて判別できず。

こんなおっかない妖怪がダーツを楽しむのだろうか。

杉村升という脚本家

私にはお世話になった脚本家の先輩方がたくさんいる。
そのうちの一人が、カクレンジャーのメインライターを務めた杉村升という脚本家だ。

杉村氏とは、私が学校を卒業した後、世間のことなど何もわからないままシナリオライターを目指そうとしていた頃に出会い、その後およそ5年の間、シナリオのこともそうだが、衣食住酒ほぼすべての面倒を見てもらっていた、と言っても過言ではない。

私の頃には、昔あった厳しい脚本家の徒弟制度がほとんど崩壊しかけており、私も「弟子にしてください」とは言わなかったので、師匠と弟子、というきちんとした関係ではなかったが、それに近いような近くないような、なんとも不思議な関係性ではあった。

当時は、シナリオを書き、会議をし、酒の席を共にし、「お前は弟子じゃないから」と言われて甘やかされながらも、ある時は本気で怒られたり、そしてたまに褒められたり。

頭の片隅では常に『この人がカクレンジャーを書いた人だ』と思いつつ、私は私なりに、なかなかに過酷で充実した修行生活を過ごした。

それから何年か経って、状況が変わった。
毎日のように顔を合わせてもいられなくなり、私は私で別の仕事をしながら、ダーツにどっぷりとはまっていった。

師匠と弟子、という関係性であれば、師匠の庇護の下に置かれ、ある程度、ちゃんと師匠からの仕事を続けられたのかもしれないが、私はついにそれを選択しなかった。

ある日、杉村氏は突然亡くなった。

私にとっては実の父親よりも父親のような人であった。
ただただ喪失感で打ちのめされた。

実は、脚本とはこう書くのだ、という技術的なことはあまり教わっていない。
生き方だとか考え方だとか、共に過ごした時間の中に様々なヒントが隠されていて、私は今も尚そのことを思い出しながら生きている。

ダーツの師匠と弟子

時にダーツバーへ赴くと「○○さんは、自分のダーツの師匠だから」みたいな会話を聞いたりする。

その言葉だけ聞くと、その人は、○○さんのもとでぶん殴られながら厳しくダーツを教えられ、ある時は見るだけで技術を盗まねばならず、ダーツ外の多くの時間も共に過ごし、そこまでしてようやく○○さん流のダーツを習得した人、という想像をしてしまう。

そんなわけはないのだが。

つい先日急逝したダーツのプロ選手エリック・ブリストウは、その後16度の世界チャンピオンに輝くフィル・テイラー選手を見出した師匠としても有名な選手でもある。

練習、試合、と長い時間を共に過ごしただけではなく、フィルのダーツ修行に必要な金銭をエリックが負担していたという話もある。

そこまでして面倒を見てくれるダーツの師匠、そしてそれを信じてついていく弟子、というものが果たして現代にあるのだろうか。

私は気軽に、あの人が師匠、あの人が弟子、ということを言えなくなった。

解けない謎

そういえば、未だに解のわからない杉村氏からのメッセージを思い出した。

恵比寿のビアバーで、コースターの裏にボールペンでさらさらと書き上げ、私にホイと寄越した一文。

『女に負けるな』

うーん……深い。
そして、今のところ全敗してる気がする。

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