【「努力」と「報われる」の客観的視点】
努力は報われる?
マイナースポーツといえども日本には2つのプロ団体があり、Steelも含めれば毎月、毎週試合が行われています。
そして、試合に勝つために毎日練習をして苦しんだり、悩んだりしてなんとか自分をいい方向に向かわせるように努力をします。
ダーツに人生をかけている人もいます。
ただ勝負事である以上勝つ者もいれば、負ける者もいて「優勝」というものを「勝つ」という定義にするならば年間でも一握りの選手しか勝っていませんし、ほとんどの選手が負けています。
先のブログでも書きましたが、ダーツに掛ける時間はその一握りのプレイヤーよりも多いプレイヤーもいるはずです。
ましてやメジャースポーツになればπはもっと大きくなり、「勝つ」プレイヤーは一つまみほどになるでしょう。
こんな現実がある中で「努力は報われる」とは本当なのでしょうか。
経験年数10年も満たない僕でもやればやるほどうまくなることはなんとなく感じますし、経験を積むことによって強くなっていくことも、これもなんとなく感じています。
ではやればやるほど勝つことはできるのでしょうか?
これはまだ僕にはわからない領域です。
まだ勝ったことが少ないですし、がむしゃらにダーツに取り組むことしか知らないからです。
毎日、練習して、練習して、練習する。考えうることはすべてやる。すべてを昨日を越えるため、勝つために捧げる。
「努力」=昨日を越える為に考えることができるすべてのこと。
「報われる」=試合に勝つこと。
これが現時点での僕のスタイルです。
勝つこと
僕の中で「勝つ」とは大会で優勝することです。
おそらくプロの方の多くもこういった定義の方は多いと思います。
ただ立場が違えば定義も違うわけで
「Aフラになる」「お店のあいつを倒す」「1000点を出す」なども。
ただ、それに向かっていく過程はどの立場の人でも苦しく、悩むことも多いはずです。
それはプロもアマも同じで、そのために日々努力することも同じです。
そして多くの方がその苦しみや悩みに対して「楽しい」といった感情に変化させてプレーしているのをよく目にします。
楽しんでいても努力はできるし、自分を追い込むことはできる。
そう僕は捉えています。
ダーツというものをプレイヤー的観点から見ればきっとほとんどの人が「努力は報われない」。
しかし、ダーツというものを全体的見てみれば一概にそうとは言えないのかもしれません。
人生をクォーター制で見れば
ただダーツに人生を捧げた結果「幸せになる」ことができなければきっとそれは「報われない」として終わってしまいます。
僕は先のことはあんまり考えていませんが「幸せ」にはなりたいと思っています。
幸せになるツールとしてダーツを選んでいるということです。
僕はバスケを9年間やってきました。
バスケの試合は1Q 2Q 3Q 4Qといった4つの部分に分かれており各10分間計40分の試合となっています。
人生を同じように80年間の4Q制に置き換えたとしたらまだ僕は2Qの開始2分といったところです。
バスケをやっていて2Qの途中で今までのやってきたことを評価する気にもならないですし、それは終わってみないとわかりません。
高校最後の冬の大会は大差でBEST8で負けてしまいました。
ぼろ負けです。
ただそれまでの9年間のことを「報われなかった」とはこれっぽちも感じませんでしたし、むしろ負けていながら「バスケットをやってきてよかった」と思えました。
苦しくて、辞めたいと思うことなど毎日です。
そんな苦しく、辛い練習をしてきて最後の最後にぼろ負けを喫しても
「続けてよかった」と。
そして今ダーツをスポーツとして捉えることができるのもバスケを続けていたからです。
ダーツは付き合い方によっては一生できるスポーツかもしれません。
僕はこの先も「勝つ」ということに対して苦しいこともあるだろうし、嫌なこともあるでしょう。
ただプロとしてダーツを辞めるときに「ダーツをやっていてよかった」と思うことができれば例えどんなダーツ人生でも「報われた」ということ「幸せな人生」ということになるのではないでしょうか。
だから僕は「もっとやっていれば」などとは思わないように、今日も全力で苦しみ、悩み、そして楽しみたいと思います。
コービー・ブライアント
今日は最後に僕が尊敬している努力家の一人元NBA選手のコービーが引退のインタビューの際に語ったことで感銘を受けたものを紹介したいともいます。
●引退を決断した上で最もつらかったこと
今その質問に答えるのは難しい。来年のトレーニングキャンプの頃には答えられるかもしれないね。
なぜなら、僕はそこにいないから。
今は、正直に言って、幸せな気持ちさ。
本当に、一生懸命、ハードに、全力で取り組んできた。
酷いプレイをしたときでさえ、醜いプレイをしないように努力した。
できることを、可能な限りやろうとしている。
それについては良い感触を持てているよ。
●今季が最後になると確信したときについて
あまり禅のような哲学的な表現はしたくないけれど、瞑想しているときに決めたんだ。
これまでは常にバスケットボールについて考えていた。
いつもね。
でも、今はそうではない。
“ときどき”になり、“いつも”ではなくなったんだ。
そのときが、もう僕はバスケットボールについて絶えず悩み、考えているわけではないんだと、思った最初の兆候だった。
●別れを告げることに悲しみはあるか
ない。良いことだよ。それは循環していくものなんだ。
成長し、成熟していく上で、これが自然な歩みだと思う。
悲しみはない。これまで、素晴らしい時間をたくさん味わった。
もう相手チームのディフェンダーを抜き去ることができないことや、朝起きて痛みを感じることにも心地良さを感じる。
これまでに取り組んできたことがあるからこそ、今の自分があるということを知っているからね。
悲しみはない。
自分が経験してきたことに本当に感謝しているんだ。
●キャリアの終盤にいることを受け入れたことについて
素晴らしかった。これからも自分を追い込んで、トライし続ける。
それは変わらないよ。
朝にウェイトトレーニングをして、1日に3度ストレッチをする。
今夜も家に帰ったらストレッチするし、氷風呂にも入る。
明日の朝も、移動前にウェイトトレーニングをする。
止めないよ。
追い込んで、追い込んで、追い込んで、どうにかできるかやってみる。
それが僕という人間なんだ。降伏はしない。
受け入れて、理解して、どうすれば良いかを試してみる。
僕はベストを尽くし、これからも前進し続けるよ
●最高の思い出
苦労して勝ち得た優勝だ。それが旅路を完璧なものにする。
ただ、優勝だけあっても味気ない。ライバルや、アップダウンがないとね。
苦しいことがあるから、最終的に感謝する瞬間が生まれる。
こういう瞬間に、本当に感謝している。
●若い選手の成長を助けるバランスについて
昔と変わらない。とにかく一所懸命に、ハードに取り組んで、前の試合よりも良いプレイをするためにトライするだけ。
教え続けて、支え続けて、自分のプレイも高められるようトライする。
レベルアップできるように、がむしゃらにトライするんだ。