【DartsBar.09】Moca Boy【中野坂上駅】
丸ノ内線中野坂上駅
太宰治はこう言った。「人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか」と。
我々は自分に対しては素直に生きているはずである。しかし、他人に対してはどうだろうか。たとえるなら、近しい隣人や友人などの尊敬する面を見つけると、素直にほめればよいものの「お前ならまだできる」と鼓舞する事を言う人もいるだろうし、「俺の方が優れている」などと他人を煽るような事を言い、人の良いところを賞賛できなかったり。裏には尊敬や敬意があったとしても、受け取った側がどう思うかは人それぞれである。相手に素直に気持ちを伝えられないという事は、相手に誤解されてしまうだけでなく、自分自身にさえ素直になれていない証拠ではないかと考えることもある。
時に、素直にほめる事が出来ず、こじらせ、曲がり曲がって嫉妬や嫌悪の対象に変わってしまうのだ。相手の尊敬する事柄と自分を比較し、劣等感を感じてしまうなどは私の身に覚えもある。
これが不幸の源泉なのだという事であるというのは、ものすごく理解できる。
また、小学生の男の子でさえ、好きな女の子に素直に好きと言えず、いたずらや意地悪で表現してしまう。私も例外なくそうだった記憶がある。いたずらやいじわるで、こっちを見てほしいが、もちろん「男子!!サイテー!!」となってしまう。
大人になったって変わるものではない。こうやって、どんどん人生経験を積んでいくと、関わる人も多種多様になってくる。素直に愛情や、尊敬を表現できれば、きっと周りで起こる揉め事のほとんどを解決してしまうだろうとさえ感じてしまう。太宰が達観していたのかもしれない。
子供の時からの成長の自覚がほとんどない事に、内心ショックを隠しきれない気持ちになる。そんな時は素直に、決まってこうすることにしている。
……そうだ、ダーツバーに行こう。
以前、違うお店の紹介でも書いている中野坂上。山手通りと青梅街道が交差する大きな交差点を中心にそうよばれるエリアである。変わらず高いビルのオフィス街と、下に広がるなんとなく懐かしい景色は健在である。ダーツバーは二つあると記憶していると、以前書いたが、増えてもいいと思う。飲み屋さんやご飯屋さんがひしめきあい、同時にアパートやマンションも多く、住んでいる人も多い。乗り換えで利用する方だけでなく、ここで生活する人も多い。とはいえ、これもダーツが好きだからこそのわがままでもあるかもしれない。
こんなにいいお店が家のそばにあればなんて、何度思ったかわからない。このコラムの取材で様々なお店に行ってきたが、そこに行くからこそ、というのもある。家のそばにあったら、ありがたみなんか忘れてしまいやしないだろうかとも思っている。自らの足で赴くからこそ、価値を感じたりありがたみを感じたりするものでもある。そこに行く価値というのも、名店の条件だと確信めいたものもある。
中野坂上の交差点を東中野の駅の方へと進む。交差点中心に発展しているエリアなので、離れれば少しずつ明りが少なくなってゆくが、落ち着いた雰囲気でとてもいい。この日は気候も心地よく、夜風が気持ちいい。お稲荷さんを通過し、少し進むと電光掲示板が迎えてくれる。
夜道の中で、一軒だけ、オアシスのように煌々と光を放ち佇んでいる。迷う事はないだろう。
西部の酒場を彷彿させ、流れ者ガンマン気分になる
ドアを開けると、威勢よくスタッフが声をかけてくれる。木目の床やカウンター、テーブルなど西部劇を見ているかのような渋さと懐かしさがある。入口にフーズボールも置かれ、オシャレでかっこいい。もちろん飾っているだけではない。しっかり遊ぶこともできる。
スタッフが元気よく迎えてくれるだけが、店内の活気の主成分ではなかった。リーグの試合が行われていた。私は流れ者なので、どちらがホームでどっちがアウェイか分かりかねるが、とにかく盛り上がっている。真剣にダーツ。いいじゃないか。こういう目標のようなものを身近に感じるとダーツ生活、ダーツ人生もまた一段と良くなっていくものである。白熱している雰囲気が、肌に伝わってくる。投げたい気持ちがより一層深くなる。
店内は広くテーブル席もたくさんある。店内はたくさんお客様がおり、またリーグ戦も開催していたのでしっかり確認できていないが、10テーブルはあったかと思う。私はカウンターに陣取ったが、それでも7~8席くらいはあった。50人くらいの規模感だった。
なにより店内はオールドアメリカンを通り越して西部劇の酒場のような雰囲気でかっこよく、そしてどこか懐かしい。腰に銃ではなく、ダーツをぶら下げ、旅の途中に寄った酒場のような気分になる。そう言われれば最近、西部劇を見ていない気がする。そういう懐かしい雰囲気である。
カウンターにはたくさんのボトルがならび、その奥のキッチンではスタッフが調理をしていて、次々とおいしそうな鉄板やお皿を運んでいく。繁盛店だ。まさに孤独のグルメの井之頭五郎になった気分である。
西部の流れ者はきまってビールを飲んでいたと信じて、ビールを頼んだ。流れ者は流れ者の流儀に従い、流れ者らしくあろうと思った。
とりあえず生を頼んだのだが、ビールの種類だけでもおびただしい量がある。ボトルビールも輸入物、各国各種の銘柄を取りそろえ、生ビールでさえクラフトビールもあり、ビール好きには天国である。よく「とりあえず生」というし、聞くが、生ビールの種類だけでもたくさんあるので「何の生?」と聞かれることだろう。こんなにビール好きを興奮させるものはないだろう。お店のスタンダードの生をまず頂いた。
リーグ戦の間は、邪魔にならないように食事を楽しむことにした。
生ビールの味というものはそのお店のオペレーションの高さを表現する。しっかりとメンテナンスや洗浄を行っているかが、一発で分かってしまうようなものである。もちろんこちらのお店は完ぺきである。ビールなんて何でも一緒だと思っていたら大間違いである。銘柄、瓶か缶か、生か、それぞれがそれぞれの個性を持っている。一番最初に頼まれる事が多い生ビールだからこそである。そう思いながらビールを傾けていると……
……おなかがすいてきた。
ビールを流し込んで消毒してしまったせいだ。胃袋を刺激されたせいなのだ、これはしっかりとした生ビールのせいである。
メニューをみて、「ジャンボカットステーキ(300g)」を頼もうとすぐに決まった。何より、ステーキ、肉である。これを楽しみに来た所が大きい。赤身の肉には人を幸せにする成分が入っているはずである。ステーキが焼きあがるまでの待ち時間、手持無沙汰になるといけないので、たこのから揚げも頼んだ。
たこのから揚げは早めに届いてくれた。ステーキを食べる前にアップだとばかり食す。中のたこは歯応えがしっかりしているのに、やわらかいという究極の矛盾をはらんでいた。噛めば噛むほどうまみが広がり、ビールを加速させる。ビールとたこのから揚げを楽しみながら、リーグ戦を観戦して、ステーキを待った。
上手い人もそうでない人も入り混じって、協力して勝とうという意気込みと、鼓舞する声援などが心地いい。ダーツという文化は、しない人にはあまりいいイメージがないなどと聞く事もあるが、こんなに素晴らしい文化はないだろう。ご飯やお酒も同時に楽しめるものなど、他にあるだろうか。ステーキの為にとっておいた生ビールがたこのから揚げのせいでなくなってしまったので、クラフトビールでとても有名な日本のブランドのエールを頼んだ。きっとこれから来るお肉に合うだろうとおもっていた。試合はどんどん白熱してゆき、静かに、そして激しくぶつかっている。すごくいい。見るダーツも、なかなかいいものである。
そうこうしているうちに、ステーキが私の眼前に運ばれてきた。なんとも形容しがたい、白いオーラに包まれて、いや、発して、威嚇するような、焼ける音とともに。
「鉄板がお熱くなっておりますので、お気をつけてお召し上がりください」という「絶対にこれはおいしいですよ」という枕詞とともに置かれたその姿にまず感動する。ココットに入ったソースをかけると、さらに切り分けられたステーキ達が大合唱を始める。カットステーキ合唱団である。我慢できなくなって、すぐに私は箸を伸ばしてしまった。
衝撃だった。頭を鈍器で殴られたような衝撃である。
まるで何か違うもの食べているかのような食感である。私もなんだかんだ中途半端に人生を年数重ねてきて、覚えてはいないが、おそらく何百枚かはステーキを食べてきた。その中でも抜群にうまいのだ。今まで食べてきたステーキは何だったのか、ステーキというものの概念について考えてしまう。シンプルにうまいのだが、哲学的だ。今まで食べてきたステーキをステーキと呼べなくなってしまうような嬉しい不安が終始付きまとう。
まず、やわらかい。そしてすぐになくなる。表現として正しいかどうか別として、思った事を言わせてもらえば「まるで水のように吸収されるステーキ」であった。それだけ体が欲していたのか、このお肉がおいしいのか、あるいはその両方か。それはわからないが、どんどん食べられる。パクパクと口に運んでは、2~3回咀嚼したくらいで、のどを通過して、すぐに体の一部になる感覚である。まさに「水を飲むように食べれるステーキ」である。寝起きの渇いた体に水をしみ渡らせるように、私は次々とカットされたステーキを飲んでいた。
……気が付いたら、なくなってしまっていた。鉄板の上には、本当に何もなくなってしまった。コーンもポテトも、もやしさえも……本当に何も存在していなかったかのように変わり果ててしまった。
ここにあったステーキはどこに消えた?それは私の一部になって、闘争心へと変化していたようだった。肉食系男子のモチベーションとはこの状態なのだろうか。「草食系男子」と10年来呼ばれている私にも、とうとう闘争心というものが芽生えてしまったのかもしれない。
リーグ戦が終了し、ダーツ台が開いたタイミングで、スタッフさんでプロツアーで活躍されている方がいるので、捕まえた。身の程知らずというのか、ステーキの力か、挑みたくなったのである。ステーキを食したせいで私は凶暴になってしまい、かみついてしまったのだ。もちろん、受けてくれる。ダーツは本当に楽しい。
ダーツも強くて、お肉もおいしい。雰囲気も良く、普通にデートの途中のお食事で寄ったと思うカップルも何組かいて最高である。ダーツバーだけど、ダーツバーだけではない。ご飯屋さんだけど、ご飯屋さんだけではない。どちらのいい所も内包し、すべてを受け入れる懐の深さを感じてしまった。
どうだろう、ダーツなんかしなくたって足を運んでみるだけでもいいかもしれない。お客様の大半はおそらく食事がメインである考えられる。そこにたまたまダーツがあるという感じだ。ダーツに何か強制的なものを感じて、投げに行くのにすこし抵抗がある人なんかはオススメだ。投げたっていいし、投げなくたっていい。個人的にはダーツを楽しみながら、食事も楽しんでほしい。
おいしいものはそれだけで、人を豊かにする。
過剰摂取すると私のように凶暴になり、スタッフさんにダーツを挑んでしまうだろうけれども。
とても自然にダーツが存在し、お客様やスタッフの生活の一部になっている。最高のお店だった。
※もちろん私が返り討ちにあったのはいうまでもない。(言わなくても分かると思うが念のため、です)
Moca Boy
東京都中野区中央2-8-21 パーク坂上1F
03-3368-2930