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【DartsBar.13】Bar Raputy Baru【大塚駅】

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2018.05.11 Fri.

大塚駅

 私が幼い頃だったが、赤い頭のロック歌手がこんな歌を歌っていた。
「デタラメと呼ばれた君の夢の 続きはまだ胸の中で震えてる」
 当時はまだ音楽番組も豊富で、CDも8cmだった。私はこの赤い頭のギタリストのファンだった。というより憧れていたといった方が正しい。なんてかっこいいのだろうか、こうなりたいと思い、願ったものだった。
 この曲が発売された頃、このロック歌手はこの世にいなかった。曲の歌詞、曲調から、その謎の多い死因に関して、当時ネットもほとんどない時代に、様々な憶測が飛び交っていた。
 しかし、いずれにしてももうこの世にいないものはいない。本当の事は何もわからない。ただこの曲がその後に発売され、幼き私は聞いて感動し、この歌詞を、あれから20年たった今、ただ思い出しただけだ。
 たまに動悸を感じる。電車の中で見た、心臓に良いとされる薬の広告では「ストレスが動悸の原因」などと書いていた。
 生きているといろんな事がある。年齢を重ねれば重ねるほどに、楽になる事などないのだろう。胸が苦しいと思ったり、動悸を感じたりする時に、この曲の、あの歌詞を思い出した。きっとこれは幼い頃に見た、馬鹿にされていた私の夢が、まだ胸の中で震えているから、動悸がするのだと感じる事ができた。
 加齢による肉体の衰えや、世知辛い世界から放射状に降り注ぐストレス、不摂生極まれり普段の生活習慣がこの胸の動悸の原因ではない。あの頃見た夢の続きを忘れるなという、幼き日の自分からの合図なのだ。

 ……そうだ、ダーツバーへ行こう。

 大塚駅に降りてみると、思ったより人が少なく落ち着いた印象をうけた。山手線沿線だが、都電なども走っていて、独特な雰囲気を感じる。昔は花街だったと何かで読んだ記憶があるのだが、確かに名残を少し感じる。ただ東京の大きな繁華街とはちがう、もっと温かい雰囲気があるような気がする。
 お住まいの方も多いと思う。電車を降りて家路を急ぐ人も多い。うるさくなく、また静かすぎない。住み心地もよさそうだ。歩いて池袋の方にもいける距離感も良い駅だ。ラーメン屋さんからの匂いがとてもよく、胃袋を刺激してくる。
 街灯が思ったより少ないのか、少し暗めの夜の街の印象だが、街灯の代わりの様々な飲食店のネオンや明りが街を煌々と照らす。温かい雰囲気があり、安心感がある夜道である。都電の線路を渡り、すぐのところに今回伺うお店がある。
 ビルの下から三階を見上げ、明りが灯っている事を確認して、私はエレベーターのドアを開けて乗り込んだ。緩やかに音を立てて上がって行くエレベーターの中で、胸が躍るのを感じた。

 大人になってしまった皆様にだってあったはずの幼き日の夢。どんな形であれ、まだ生き残ってその続きを待っているはずである。そんな事を思い出させてくれるお店は必ず存在する。
 「Raputy」様はそんなお店の一つだと断言できるだろう。

これぞまさに、ダーツバー。伝統的なスタイル。

 エレベーターを降りるとすぐに、ステッカーに彩られた鉄の扉が待っている。すこし重めの扉の手ごたえがまた心地いい。これからダーツバーに入るのだという事が体全体でわかる。ドアを開けると店内だが、それほど大きくはない。テーブル席が二つ、カウンターに3~4人掛けられる感じの適度な空間という感じか。オーナーがいらっしゃいと声をかけてくれる。
 とても自然に田舎を思い出すような気持ちになる。まるで、いとこのお姉さんにあったかのような印象をオーナーから受けるのである。ダーツを介せば、ダーツプレイヤーは皆親戚のようなものなのかもしれない。そんな錯覚さえ覚える。見ず知らずのダーツプレイヤーをたくさん受け入れてきたに違いない。懐の深さを店の雰囲気で感じる。
 アットホームという言葉を聞く事もあるし、使う事もあるのだが、あまりに家族のような感じが強いと、それはそれで居心地に疑問が生まれてしまう気がしている。特に私のような根なし草、ダーツバーホッパーからすれば、入りにくい印象を感じてしまう事もしばしばである。最近だが「親戚の家に遊びに行ったくらい感じ」が一番調度よいのではないかと思っている。まさに、ラプティ様はそれに近い雰囲気だと思った。
 親戚の家に、たまに遊びに行くと、何となく家のようで家ではない感じがしたと記憶している。居心地はいいが、どこか自分の家ではないというピリッとした感じがあって、背筋が伸びる気持ちにもなる。緊張の糸というものがあったとしたら、とても調度よいテンションである。
 身内が強い絆で結ばれているお店もダーツ業界では多くうらやむ事さえあるのだが、適度によそ行きに入れるお店というのもまたいい。居心地は、仲間やお店との関係の強さ、深さには比例しない。私のような放浪しているものにとっては、ありがたい雰囲気といえる。
 テーブル席に案内してもらう。各々好きな飲み物を頼む。私は決まってビールだった。
 ダーツマシンはオンライン二台、二機種しっかりある。最高である。ハードも一面かかっている。存在感がすごい。おそらく投げられるだろう。とはいえ、今回はソフトダーツを投げようと思っていたので、眺めるだけだった。投げる空間も、しっかり取ってある。昨今広い投げ場などが多いのもあって、多少狭く感じる方もいるかもしれないが、伝統的なダーツバーのスタイルの店内に、なんだか安心してしまう。
 それこそ、親戚の家に遊びにいったかのような調度よい緊張の糸のテンションである。

 カウントアップやパーティゲームをして、その場にいた人たちと、仲間内とでダーツを楽しむ。何より、ダーツは生活に小さな目標と夢を与えてくれる。もしかすると、いつか忘れてしまっていた夢の続きが、細々とだが続いているのかもしれない。我々の年代は、夢を持つように育てられ、何かにつけて夢や目標を持って、努力することを強制されてきた。その中でも建前の夢や目標もあったと思うが、心の中では本当の夢や目標を、誰にいうでもなく小さく温めて生きてきている人もいるのではないだろうか。現に私もそうだった気がする。両親や家族に心配かけまいと、堅実そうな夢や目標を掲げながら、また違った大きな野望を小さな体に宿していたはずである。
 到着して投げていた時間がまだ早いせいか、少年が一人いた。親御さんが見守る中、ダーツをしている。親御さんから依頼されて少年とダーツを何ゲームかした。食事を楽しみながら、ちょっと時間があればダーツを楽しむ事が出来る。こんなに幸せな事はないだろう。
 その少年の負けず嫌いさから何試合も行う。私も子供だと思って手を抜いたりしなかった。親御さんは「一緒にダーツすることを依頼した」といういい方をしたが、実際の言葉でいえば「もんでやってくれ!!」といういい方だったのも、私をそうさせていた。
 「もう一回お願いします!!」と何度も礼儀正しく敬語で、私に向かってくる少年。なんだか、柔道の道場で乱取り稽古しているような気持ちになってくる。きっとこの少年も、この小さいからだの中に大きな野望を宿しているに違いなかった。かつての私たちと変わりなく、今の子供たちもそうなのである。
 乱取り稽古が一段落すると、気が付いてしまった。

 ……おなかがすいてきた。

 ラプティ様も「油そば」が、やはり名物だそうだ。
 今、ダーツ業界ではもしかすると「油そば戦争」なるものが勃発しているのかもしれない。油そばを置いているお店は多い。そしてどこの油そばも、その専門店と遜色ない味とクオリティで提供してくるのである。ダーツバーのメシは……なんていう話は遠い過去、宇宙が始まる前の話である。どんぶりの中に広がる、たれと麺の銀河には様々な可能性が詰まっている。お店によって味も全然違うのである。郷に入りたら郷に従え、その土地、そのお店のおいしいというものを頂くのが何より大切な事である。
 麺をかき混ぜると、内部に隠れていた湯気が勢いよく登ってくる。これがビッグバンである。宇宙の始まりである。香りもする。ニンニクのほのかな香りが鼻孔を刺激する。全体を満遍なく混ぜても、思ったより粘度が高くないタイプの油そばだった。生命力を感じるそのどんぶりの宇宙を、一気に啜る。
 うまい。味も濃すぎず、薄すぎず。ニンニクの香りは強くないが、存在感はしっかりしている。海苔の香り、たれの香りとしっかり共存している。口の中で、宇宙ではなく大海原を連想させるような香りが立ち込める。宇宙と海は、もしかするととても近しい存在なのかもしれない。海苔の香りというのは、本当に偉大だ。まるで四方八方が絶望的な水平線で、浮かぶ私が、その海底へとゆっくり沈んでいくかのようなそんな気持ちになり、全身で海を感じる。啜った油そばの海苔くらいの量でも、海を感じるのだ。
 チャーシューも他のお店とは違う。もちろんうまい。どんぶりの中の宇宙に、水があり生命体が存在する星を表現しているかのような存在感だった。そう、まさに地球である。
 「お好みで、酢とかラー油……」というありがたい言葉を待たずに、どんぶりの中の宇宙は無に帰してしまった。私たちのブラックホールへと吸い込まれて異次元へと到達している頃である。
 今度食べるときは、すこし酢やラー油を使ってみようと心に誓った。

 ザ・トラディッショナル。これぞダーツバーの伝統的な姿。そう感じるお店だった。どうやら不定期ではあるが、休日にお客様の子供たちを集めてダーツを教えたりする事もあるそうだ。なんだか嬉しい気持ちになる。
 ダーツは日本において、これからのスポーツ。プレイヤーのほとんどが大人である事、夜の街に相性バッチリすぎることなどを理由に、スポーツと認識されない事も多いが、我々プレイヤー側はスポーツだと思っている。子供たちに夢や希望や目標を持ってもらえるコンテンツである事は間違いないのである。
 また、我々でさえ、まだまだ心の中に眠っている、生き続けている「何か」があって、それはきっと子供たちの「それ」となんら変わらないのではないか。「それ」を忘れられないから、私は、私たちはダーツをしているのではないだろうかとさえ、思い始めた。少年との乱取り稽古を繰り返し、きっと彼はダーツの何かを私から得て行ってくれたと信じたいが、逆に私は少年から大切な何かを教えてもらったような気持ちになった。自分の恩師なども、今の私が感じるような思いだったのかもしれないとも感じる。
 親戚の家の祭りに来たかのように、仲良くなったお客様にごちそうしてもらってしまったり、少年とダーツの稽古をしたり。東京においてこれほど得難い経験をしたダーツバーはなかったかもしれない。田舎や、自分の幼い頃の事など、まったく関係ない大塚という場所でリンクやザッピングしているような気持ちになる。

 我々が大人になり忘れてしまった何か。もう一度思い出すには、ダーツをする事、ラプティ様のようなお店に行ってみる事が一番なのではないだろうか。
 勇気を出して、扉を開けてみてはいかがだろうか。ダーツをしているからこそ、思い出せる「何か」がきっとあるはずである。

Bar Raputy Baru
東京都豊島区北大塚2-27-2 シューエイト北大塚3F
03-5980-8160

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