【DartsBar.19】Indian Time【池尻大橋駅】
東急田園都市線池尻大橋駅
以前、あまり趣味でもなかったが、とても考えさせられるSF映画を見た。とても難解な設定で、当時最先端の物理の知識に明るくないと楽しめないような、強烈に難しい映画だった。しかし、根っからの文系脳の私でも、難解な設定はわからないものの、なんとなく「時間の流れが重力に依存している」ように感じてみていた。その映画は絶滅の危機に瀕する地球をどうにか救おうと宇宙をさまよいながら……という某宇宙戦艦のようなストーリーだった。その中で出てきたセリフにポエムの引用があったそうだが、私は無い知恵を絞り、相対性理論や量子論の事を理解しようとしてほとんど覚えていない。
「穏やかな夜に身を委ねてはいけない」というセリフなのだが、覚えてなどいない。劇中の時間の流れは登場人物ごとに相対的である。同じ宇宙船で過ごしていても、なんらかの作業で重力のある星に一回降りて帰ってきた時間が数十分でも、宇宙船では何カ月何年と時間が経っていたり、頭の中がおかしくなりそうなほど難解な映画だった。その間にずっと待ってた仲間や、宇宙船の中の食料はどうなっているのか、そして地球はどうなっちゃっているのか、わけがわからないのである。しかし、物理に明るい人達にはとても面白い映画なのだそうだ。私はただただ「時間の流れが重力に依存している」という所に感動していた。「すげぇ!!やべぇ!!」と文系らしからぬ思考ではあったが。
なぜこんなダーツに関係ない内容を書いているのかと言われるかもしれないが、私は今回伺うお店の名前を見たときから、この難解すぎて理解が出来なかった映画で感じていた事を思い出していたからなのである。
……私は、ダーツバーに行く事を決めていた。
前述の映画を見た街、渋谷にまず辿り着いた。私は埼京線をよく使っているのだが、ホームから改札までは絶望的に遠い。再開発工事が進捗する度に、迷路のように駅の中は変わってゆく。まるで、何か巨大な生き物の内臓の中を歩いているかのような気持ちになるほどである。改札を抜け、地下に潜ってゆく。以前は池尻大橋程度なら、なんなら歩いて行こうか、缶ビール片手にという気持ちがあったのだが、私もある程度の年齢になり、歩く事も、歩きながら缶ビールを干す事も難しくなってきた。以前ほど、渋谷界隈をうろつく事もないからかもしれない。田園都市線のホームについて、電車に乗り込むと、本当に電車に乗るよりは歩いた方が良かったのではないかというくらいの時間でついてしまう。
池尻大橋駅を出て、246を渋谷の方に戻って歩く。上も下も、縦横無尽に電車や車が走っている。バスが、まるで電車のように連なり、渋滞している。バスの時刻表の意味が無くなるほどの渋滞が起こっている。急いで乗っても、歩いて行った方が早かったなんてことは、当然あるだろうなと思いながら、進む。
前だけ向いて歩いていたら、きっと見落として通り過ぎてしまいそうな場所にお店があった。見落とすわけがない。私はここを探してきたのだから。
「Indian Time」様は、その前身となるお店より18年続く老舗であると同時に、この界隈のダーツ業界をずっと見つめ続けてきたお店である。そのお名前が意味するものこそ、こちらのお店が何より大切にしていることだろう。……私は楽しみで仕方がなかった。
池尻の地下にある「精神と時の部屋」
地下に続く階段を、待ち合わせをしていた親友が先導してくれる。階段を下るほど、深く深く潜って行く感覚を覚える。木製のドアを開けて店内に入る。床や壁など、すべて木製である。先程まではコンクリートジャングルというか、高層ビルに囲まれ、大きなコンクリートの川を、たくさん車が流れていた場所だった、という事が信じられない。違う惑星に降り立ったかのような気持ちになってしまうのは仕方がない。先程の階段は異世界に進むワープだったと言っても過言ではないだろう。
店内にはマシンが3台あった。一台はとても古い。まるで象徴のように佇んでいる。左手にマシンを見て、正面にはテーブルがあり、ハードボードとアレンジ表が飾られている。ハードをするときはおそらく、テーブルを寄せて行われているのだろうと容易に想像できた。右手には長いカウンターがあり、キッチンも見える。カウンターの奥には常連様らしき人が一人座って、テーブル席には食事を楽しむお客様もいる。本当に、先ほどまでの東京の姿が嘘かのような雰囲気が店内を覆っている。神秘的ともいえる雰囲気だ。
カウンターのマシン側の席に私たちは腰かけ、早速ビールをお願いする。最近ビールは健康に良いとされる記事を読んだばかりで、その受け売りではあるが、若返りに効果が期待できるとの事だった。ビールを飲むしかあるまい。今回一緒に来てくれた親友の、そのまた親友が店長様で、オーナー様もキッチンにいらっしゃった。オーナー様はネイティブアメリカンを彷彿とさせる長い髪であった。挨拶し、乾杯をする。お酒が苦手な方でも乾杯するといいと思う。アルコールである必要はない。一日の区切りとなる乾杯ほどの至福はないだろう。私たちの一日は次のフェーズへと移行する。
「インディアンタイム」という言葉がある。独自の文化で発展してきたネイティブアメリカンの考え方の一つである。ネイティブアメリカンの思慮深さと言えば、他の民族や人種とて比類するものは無いかもしれない。
「インディアンタイム」という名前に、お店の哲学、理念を熱く感じる。胸の真ん中でマッチを一本擦ったかのような、小さな火が灯るような熱を感じる。けして、ビールのアルコールで食道が刺激されただけではない。
「こいつはビールがススム君だ」と親友が注文したカリカリチーズが届く。サルサソースが添えられていて、まさに垂涎である。歯応えは、パキッと板チョコのそれに近しいが、口の中で広がった味と香りはチーズである。こってりとした濃厚なチーズの香りを、サルサソースがさわやかにしてくれる。本当に「ビールがススム君」である。ビールがどんどん進み、私はどんどん若返って行く気がした。まるで「ハウルの動く城」のソフィのように、である。
若返った私は、やはりダーツが投げたくなる。親友はカウンターにこびりついて動かない。次々とビールを空にしてゆき、動く気配さえない。まるで「千と千尋の神隠し」の主人公千尋の父が食事しているが如くである。私はもう一人、一緒に来た連れとダーツをする事にした。立ち上がりダーツを投げてみると、お店が本当に温かい気持ちにさせてくれる事を感じた。何かに包み込まれているかのような安心感と言えばいいだろうか。
……外の世界から遮断されている安心感と言っていいかもしれない。
……おなかがすいてきた。
「若さとは、空腹の事である」と思った私はお代わりのビールと、有名だというハンバーグをお願いした。オススメのカレークリームソースでお願いした。連れもかなりお腹がすいていたようで、オムライスを注文した。こちらはデミグラスソースをチョイスしていた。オムライスを発明した人は本当に偉い。オムライスは人を選ばず、すべからく幸せにする。
オーナー自らが目の前で調理をしてくれる。注文を受けてから初めて作り始める。なんと有難いことだろうか。出来合いのものを少し手を加えて出すところも多い中、こうやって、手間を惜しまず美味しいものを提供しようというお気持ちに感謝した。
目の前に運ばれてきたハンバーグの姿に息をのんだ。私にはハンバーグをクリームソースで食べた記憶がない。私は箸でカレークリームソースの海の中から、その一部を掬い出し、口へ運んだ。
……初めてだった。まず最初に甘めのクリームソースが広がり、あとから軽くスパイシーなカレーの香りが追い掛けてくる。カレーの味が勝ってしまわないように繊細に調味されている。こんなカレー味はどこでも食べた事がない。濃厚なクリームソースとカレー風味の共存が、奇跡的に実現しているのである。こんなのどうやればいいのかわからない。また、ハンバーグ自体もとてもしっとり、しっかりと歯ごたえがあり、食べ応えを感じる。噛めば噛むほどうまみが広がってくる。肉々しい味が、もちろんソースに負けないで存在し、私を幸せにしてくれている。咀嚼するたびに、ハンバーグが語りかけてくるようだった。
間髪いれずに運ばれてきたオムライスは、まさに世紀の大発明品である。その甘美な姿は、まさに「玉子のエアーズロック」と言って差し支えないだろう。頼んだ本人に許可をとり、私はスプーンで一匙大きめに頂くことにした。デミグラスソースの川をせき止め、玉子の膜を破って、中から真っ赤なチキンライスが顔をのぞかせた。その三位一体の一匙を、私は頬張った。
……完璧である。モンテスキューが唱えた三権分立とはこの事ではないだろうか。玉子がチキンライスを、チキンライスがデミグラスを、デミグラスが玉子を、とお互いがお互いをフォローしあい、オムライスがもつコンビネーションはここに極まったと言える。デミグラスの濃厚なコク、チキンライスが持つ甘みの中の微かな酸味、玉子がもたらすまろやかさ、私は今にも意識を失ってしまいそうになるほどであった。
改めて、意識を保つために、私はハンバーグに箸を伸ばす。またハンバーグは新しくおいしい。一口一口がずっとおいしいのである。なんだこのハンバーグは……と完全に私の処理速度を越えて、思考は宇宙へと飛んでいくような気持ちになる。こういうときは、ビールを飲んでクールダウンするのが、一番適切である。
カウンターには数々の言葉が飾ってあった。どれもネイティブアメリカンの言葉だと思う。ネイティブアメリカンはとてもシンプルに、その精神世界を表現する力に長けていた。
「持ち帰ってよいのは記憶だけ。残してよいのは足跡だけ」という言葉を見て、泥酔しては失敗ばかりの親友に、肝に銘じるよう言った。彼はよく「泥酔して、記憶も持ち帰らなければ、足跡ではなくて脱いだ靴を残す」ような男だったからだ。私も同じような人間で、彼にそう言う資格はないのだが。他にも「どんな火でも燃え始めは、みな同じ大きさ」という言葉もあった。おそらくどんなトッププロも私たちもダーツを始めた時は同じ気持ちだった。続けて行くにつれ、より大きく燃焼している人がトップなのかもしれない。もしくは、私が先ほど感じた、胸の中のマッチの一擦りのようなもののような事を言っているのかもしれない。さらには「かんしゃくをおこせば友を失い、嘘をつけば自分を失う」ともあった。その言葉は、まるで風のように、私たちの体に吹き込んで問いかけてくるだろう。
「インディアンタイム」という言葉を、私は説明できる自信がない。ネイティブアメリカンのように思慮深く、まっすぐ真理を見つめているような人間ではないからだ。そしてシンプルに伝える力もない。よって、毎度毎度長いと言われるような拙文を書いている程度の男に過ぎない。
この「インディアンタイム」という言葉には、お店の哲学が詰まっている。わかりやすく言えば「時が教えてくれる」という事であろうか。ネイティブアメリカンは当然の事ながら「人も地球の自然の一部」という考え方を持っている。しかし現代、人間は不自然なまでに成長し、地球上を支配している。そして自分たちが「地球の自然の一部である」という自覚が少し足りないかもしれない。生物である自覚はもちろんあるのだが、ここまで成熟した社会機能をもっては、我々の自然の一部としての自覚が、足りなくなってしまってもおかしくはないだろう。
しかし、逆もまた然りで、この熟れに熟れた人間社会こそ、自然そのものという見方が出来なくもない。
大きな森のようにコンクリートの大木が生い茂り、コンクリートの川が隅々まで行きわたり、その川をボートで下るように、人間は車で移動する。無機質な都会でさえ、自然の一部である。
「何かすべきだと思う時、それは時がそのタイミングを教えてくれる」という事であろうか。
前述の映画では、時間というものは、重力の強さに比例して速度が変わる。相対性理論も難しくわからない事が多いが、楽しい時間はなぜか早く過ぎるし、辛い時間は長く感じるというような事でわかりやすく説明してもらった事もある。10年前より愛用している腕時計は、どんなに戻しても、なぜか1分早くなってゆく。1年は365日だが「うるう年」があり、調整しなければいつも同じ時間を刻む事ができない。時間というものは、私たちが信頼しているものの割には、ひどく曖昧なものである。それを正確にした人達が「標準時間」を発明したと言える。時間の発明こそ、人類最高の発明かもしれない。しかしそれに踊らされているというのも確かである。
しかし「インディアンタイム」様の「タイム」とはそういった我々が先人たちの努力により手に入れた「標準時間」というものを指すわけではない。何時何分何秒ということではなく「その時」という事である。
よく「時間を守れない人は……」と聞く事もあるし、言われる事もある。しかし、時間とは我々が信頼するほどには優秀な訳はないし、正確ではない。おそらくだが、つかめなかった「タイミング」というものを計ろうと、人は日夜、天体を観測し、時間というものを作り上げ、皆足並みを揃えて社会を形成してきたのかもしれない。私の仮説だから、正しくはない。なぜなら、私はこの日もしこたまビールを飲んで、ダーツをしていた。酔っ払いの言う事など、戯言にすぎないだろう。
ただ、ダーツを持ち、ボードを前にした時、もし胸に小さな「熱」を、それこそマッチを一本擦ったかのような「熱」を感じる事があったら、それはおそらく「そのタイミング」である。正しいと思う時間でさえ、とても曖昧で、自分が何歳で何年生きているかも関係ないだろう。ダーツに年齢や性別は全く関係ない。どんなトッププロも、おそらくこの小さな灯火の熱から始まっているはずである。そのような「タイミング」や「熱」を感じる時を、「インディアンタイム」と呼ぶ。曖昧な時間に縛られずとも、人は「その時」を感じ取る事が出来るだろう。なにより自然に生きていく事が素敵だと、お店は体現しているのである。
何かに導かれるように、足が向き、お店のドアを開けている時があるかもしれない。その時こそ「その時」である。美味しい食事とお酒、そしてダーツで、アナタを祝福してくれるに違いない。
あなたが「Indian Time」様の扉を開く時、それはまさに「その時」だったという事である。
Indian Time
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