【AMA Darts.02】Katsuaki OMI
歴史はかく語りき
※【AMA】とは「Ask Me Anything(何でも聞いて)」の略である。
昔はよかったなんて、いつの時代も、何においても、ある程度経験や年齢を重ねると、思い、口にする事が多い。そして伺う事も多い。私の拙い、このダーツにかかわってきた時間も、諸先輩方に比べるとまだ半分か、もっというと三分の一程度の時間と質である。故に先輩方の「昔話」というのは非常にスペクタクルで、楽しい冒険譚のようなものだ。信じられないお話が飛び出してくる事も多い。しかしおとぎ話ではなく、実際に起こった話なのである。ダーツを愛し、ダーツで生きてきた人たちの生き様は、私の胸を躍らせた。
先日のお店のコラムを書かせていただいたお礼で、私はまたレジェンドの所に伺った。
http://magazine.s-darts.com/c…
相変わらず気さくで、温かく迎えてくださった。お店は変わらず、スティールダーツを真剣に楽しむ方々でにぎわい、レジェンドはいつものように眩しそうにその様子を眺めながらお店に立っておられた。
ダーツのブームは、大なり小なりあったかと思うが、今と10年前とでは、ショップもバーもスタイルは大きく変わって行っているとも感じる。適正な流れなのか、価格競争の末なのか、時代のニーズに合わせて変化しているといえばいいのか。
私のような経験の浅い人間には、どれ一つとっても勉強になるお話ばかりである。
そしてもちろん、ドラマティックなお話もあったりするのだからたまらない。
ダーツマシンのコインが起こした悲劇
ーーーーーーー今では当たり前になっている「投げ放題」というシステムが、たくさんのお店に実装されている。今ではスタンダードで「○時間、○○○円」などと店内に表示してあるお店も多い事だろう。
しかし昔は基本的にお金を入れてゲームを楽しんだ。お店によって異なるが、ゲームの料金も今の相場よりも高かった時代があった。とはいえ、けしてバブル期の話ではない。割と最近の話だった。
「昔は業者が集金に行き、数えて回収していった。マシンのカギなどはお店にない事が多かったため、『マシンが壊れた』と連絡をもらうと業者は飛んでお店に行ったものだ。どこが壊れているのかと聞くと、100円が入らなくなった。どうなってるんだということで、その業者は鍵でコインの所を開けた。
……壊れていたわけではなかったんだよ。みんなが100円を入れ過ぎて、限界まで詰まってしまい、入らなくなってしまっていただけなんだよ。だから麻袋かなんかにコインを全部出して、持って帰る。もちろん清算してね。売上を折半するのだから、ダーツマシンを置くことにリスクが少なくて、何台も大量に設置するお店も多かったから、業者が集金してお金を集めて回ると、帰りに軽バンの後ろが重くて、前のタイヤが浮いてしまったなんて話もあったくらいだ」
ーーーーーーーそんなに入るものなのかと思う事もあったが、当時はそんなことがあちこちで起こるほど、ダーツのブームだったといえる。私はその後の世代になるので、1コインで1クレジットで、1ゲーム1クレジットが当たり前の時代だった。それこそ「投げ放題で投げてても上手くならない」というような話をあちこちで聞くような時代で、コインを入れるからこそ、真剣に投げて練習になるという説が夜のダーツスポットで盛んに言われていた。私もそれを信じていた。
「昔は、仕事終わりのサラリーマンはじゃらじゃらと棒金にしたコインをもって空台をまって、だれかがゲームを終わらせるとすぐにいっぱい入れてたくさん投げていたような時代だったからね。みたことあるか?そんなやつ」
ーーーーーーーまさに私である。私も棒金を一本用意して、あまったらコインケースにいれてという生活をしてたが、なんとなく恥ずかしくて答えられなかった。
「ダーツ用品も飛ぶように売れた。バレルも消耗品も全部。今よりもまだブランドが少ない頃だったから」
ーーーーーーー今思えば投げ放題になり、あまりお金をかけずにたくさん投げる事が出来るような時代になった。用品の選択肢も増え、ショップも多く存在している。用品の値段もピンキリではあるが、比較的買いやすいような値段設定の商品も多くなってきて、だれもが手に取りやすくなったのも良い事だが、何となく私は当時のダーツ業界を体験してみたかったという思いにかられ、なぜあと少しだけ早くダーツを始められなかったのかを後悔していた。しかし、たくさんの人が簡単にダーツを始められるようになったのは、嬉しい事でもある。
『誰が一番強いのか決めよう、私はそれを見たい』
「その昔ね、ある大きなお店があって、そこでこうなったんだよ。
『だれが一番強いか決めよう』
○○とか○○とか、そういうやつがいっぱいお店にいたからね」
ーーーーーーー名前を聞いただけで驚くような大物の名前が飛び出したが、納得がいった。そしてこれから話がどこに進んでいくのかの期待で息をのんだ。
「そしたら、それを見たいっていう人がいてね。全国でダーツが上手いってやつを聞いていって、それを呼んで日本一を決めようってなる。そうするとその大会というか試合を運営するのにお金が必要になる。それを、出すっていう人が現れて、かなりの金額をポンとだしたんだ。それがね、Nさんという人なんだ。
Nさんは、表に立ちたくない人だから、基本的に。そのメンバーの中で、大会運営をやるっていう人に任せてお金だしただけだった。理由がすごいのよ、『誰が一番強いのか決めよう、私はそれを見たいから』って。喜んで協力したんだろうね。すごいよ。
そして全国から集まったダーツが上手い奴だけで、そのみんなが集まるお店で、大会が始まった。知ってるでしょ?……そう、それ。その大会」
ーーーーーーーそう、おそらくダーツファンは知っているであろう。あの大会である。
「そのあと表立ってはいないけど、あれやこれやとNさんは関わっていてね。日本のプロダーツの概念の最初といっていい。大会だけでなく、ダーツにかかわる事に関して、なにかあるとすぐに助けてあげていた。いい人なんだよ。ダーツも好きでね。ある時、その大会の舞台になっていたお店が閉まる時に、私のところにやってきた。『リーグのチームに入れてほしい』って。ダーツがね、大好きなんだよ」
今もNさんは表に立つ事など一切なく、ダーツを続けていらっしゃるそうだ。私もダーツのお陰で様々な御縁があり、こうしてたくさんの先人達にお会いする機会にも恵まれているのだから、きっといつかお会いする日が来るだろうと思う。楽しみでならない。
どれほどの愛がダーツにあるのか。ダーツが好きなのだろうし、ダーツに関わる人、ダーツが好きな人すべてに愛情があるように感じられる。どのような人なのか想像を膨らませてみても、わからない。この話を記事にしたいと思いレジェンドにお願いしたところ、すぐにそのNさんに電話連絡をしてくれ、「名前を出さない」という事で了承してくれた。
とはいえ、その時代に生きた方々が聞けばおそらく誰なのかわかってしまうという事もあり、本当におとぎ話のような形で書かせてもらう事になってしまい、恐縮ではある。
しかしこういったNさんのようなダーツへの愛が深く大きい人達に支えられ、今の日本のダーツが存在するという事を忘れてはならないと私は感じた。
「足長おじさん」という作品があったかと思う。まさに、その足長おじさんのように、日本のダーツ業界を後ろから支えている人たちがいたという事に胸が熱くなってゆく。またその存在を知らないまま、たくさんの人がダーツを楽しんでいる現代に生きる私も、感動と感謝の気持ちになってゆく。
時代は変わってゆくのだろうが、変わらないものもあるだろう。
ダーツのルールやプレイヤーからの愛は変わらないことだろう。
尾見さんは、眩しそうにダーツをしているプレイヤー達を眺めていた。